大淀川おもしろ講座(橘橋)
宮崎市役所そばの大淀川にかかる大きな橋、橘橋。テレビなどでもよく映し出されるので、みなさんもよく知っているのではないでしょうか。もちろんこの橋も、最初から現在のような姿であったわけではありません。これまでに数回かけ替えられてきているのです。きょうは、橘橋の昔を、ちょっとふりかえってみましょう。
初代橘橋は、大田村中村町に住んでいた医師福島邦成氏が、大淀川に橋をかけたい一心で、多額の自分のお金を使い、明治13年に作りました。この橋に、「橘橋」と名付けたのもこの人です。現在の橋の位置より、少し上流側に作られていたようです。
昔の橋は、その多くが木で作られていたため、大雨や洪水により流されることも少なくありませんでした。代々の橘橋も例外ではなく、幾度となく流されたり作り替えられたりしてきました。
橘橋が大雨に強い鉄筋コンクリートの橋に生まれ変わったのは、昭和7年の第6代目の橋になってからです。このときの工賃は、120万円といわれていますが、同じ時期に作られた現在の県庁旧館が、70万円といいますから、大きな工事であったことが分かります。そして、この橋は、大淀川のシンボル的な美しい橋として、永く宮崎市民に愛され続けました。
そして、みなさんがいつも利用している現在の橋の登場になるわけです。昭和54年に完成しました。 初めての四車線通行の橋になり、宮崎市の南北を結ぶ交通の重要な役割をはたしています。
初代 | 福島邦成氏により、明治13年4月に完成 |
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2代 | 宮崎県により、明治17年6月に完成 |
3代 | 完成年は不明。明治21年6月に流失 |
4代 | 国道改修にともない明治21年12月に完成 |
5代 | 昭和2年10月、仮橋として完成 |
6代 | 昭和7年4月永久橋として完成 |
7代 | 現在の橋、昭和54年3月に完成 |